ジョニーが再びこの世に生を受けてから、何やら風向きが変わったと思う。
 まず一番の出来事といえば、今まで自分達の敵としていた神達の様子であろう。
 神達――スイフリー達は元より変化があった。だが一番、自分達を憎んでいたはずのリナがジョニーを助けた、これが一番の変化であろう。そこから風向きが変わったと、知りつつもあえてそれを口に出そうとする者はいなかった。言葉に表そうと思っていても、上手く言える話ではなく、それをあえて問い詰めようとすれば照れ隠しの鉄拳がもしかしたら飛ぶかもしれない。
 暗黙の了解といえば聞こえはいいが、ようは自分達ですら心の変化になかなかついていけないということだ。
 だから簡単に言ってしまうと、今スイフリー達とジョニー達は、
『敵ではない』
 そんな考え事をしていたせいだろうか、ロアは本のページをめくるだけで実際には頭の中にはさほど入っていなかった。
 今日は読書には向かなさそうだなとロアは小さく笑う。
 思えばジョニーの体はまだいつもの調子というわけではなく、彼の体を癒すために宿での長期滞在となっていた。その滞在の間に個々で気持ちの整理でもつければいいということだろう。ロアもこれを機に、スイフリー達と交流を重ねてみようと積極的になったことがあった。
 一生敵だと思っていた相手と静かにお茶を飲みながら話す機会など到底来るはずはないと思っていたのだから、やけに不思議な気持ちではあった。でも話をしてみることでわかったこともある。
 彼らは非常に人間的であった。やはりそこは神であり、自分達が魔王であったからであろう。ジョニーと出会うことで人間らしさを手に入れた自分達とは違って、元より彼らは人間らしかった。
『根本的に違うのだな』と笑うと、
『……だが今は随分と人間らしい』と素直に返されたときは笑うしかなった。
 だから神と自分達の問題はあらかたは片付いたとロアは思う。
 過去に魔王として行った間違いは、どうあっても取り返すことはできない。だからこそもう過ちを起こさないようにするしかできない。その為の努力を重ねる必要がある、でもそれは一人ではなく皆の力でだ。
 もう一つ、これは自分達の知らない第三者の存在。今まで神との対立に忘れがちではいたが、今までの旅には神とは違う『何か』がいるような気がして仕方ない。幾度かロアは推論を立ててみるものの、決定的な一打がない。しかし確かに何かがいるのだ、微かに感じるこの違和感を拭うことだけはできず、しかしそれを探れないことにジレンマを感じていた。
 そんな時、ノックもせずいきなり開けられた扉にロアは咄嗟に読んでいた本を閉じる。
「いきなり驚いたな……」
 口調は至って冷静そのものではあったが、正直ロアの心は揺れていた。それはいきなり開けられたという驚きでもなく、先ほど考えていた『何か』でもない。
 そのやって来た人物が問題であった。
「あぁ、ノックしなかったのは謝る。いやさ、ちょっと話したいことがあるっていうかさ」
 人物――アルバートは言い辛そうに視線を泳がせる。
「……何かあったのかい。もし力になれるならなるけど」
「あのよ、ロアは今まで本気で誰かを好きになったことがあるか」
 ロアの眉が小さく動く。この一言でアルバートが何を話そうとしているのか、ある程度察してしまった自分の洞察力を恨む。これが本気の表情ではなければ、自分の洞察力など恨まないだろう。だが今のアルバートの表情は真剣そのものだ。
 だからこそロアは自分を恨んだ。
「難しい質問をするね。でもそれは私より、君のほうがしているんじゃないのかい」
 性質が悪いと、ロアは心の中で笑う。しかし彼にそう問われ、正直答えに詰まったのも事実なのだ。
「……俺さ、今までのことが本気なんだって思ってたんだよ。二人で馬鹿みたいにくるくる回ったり、二人の世界に入ることがさ」
「まぁそれの全てが間違いではないとは思うけどね」
「でもさ気付いたんだよ、そうする中に俺が本気で怒ったり悲しくなったり、失いたくないっていうのがないことに。俺、ずっと考えてたんだ」
 ロアには、この先アルバートが何を言うのかわかっていた。だから彼に口調に合わせて心の中でそっと言葉を繋げる。
「バースがいなくなるのが怖くて、悲しくてずっと傍にいて守りたい。俺、本当に好きだったのはソフィーじゃなかった。バースのことが好きなんだ」
 ロアは息を吐く。やはりという言葉が自然に漏れていたのだろうか。アルバートは静かに頷く。
「もっと早く、ソフィーと一緒にいる前に気付けばよかったのかな。あ、でもそれじゃあ俺、バースに普通に嫌われてるときか」
「じゃあ君はこれから……どうするんだい」
「ちゃんとはっきりさせたほうがいいと思うんだ。俺、嘘をつき続けることなんてできねぇからさ。だから誠心誠意、謝ろうと思ってる」
 泣かせることになってもと、アルバートは静かに付け足す。
 ロアはそれに対し、そうかということしか言えなかった。アルバートがバースに気持ちがあるのは勘づいており、それでソフィーと別れようという考えに行き着くことぐらいに安易に想像できる。ただ、問題はアルバートがバースに対し恋心を抱いていることであり、それがロアを杞憂にさせる元であったのだ。
「ロアは責めないんだな」
「どうしてそんなことを聞くんだい」
「いや、そんな気がしてたんだよ。ソフィーを泣かせてって怒られるのかなってよ。後はバースを好きになってとかさ」
「わからないな、まるでバースが私のものみたいじゃないか。別に彼女は私のものではないさ」
 いくら付き合いが長く、彼女の秘密を自分だけが知っていたとしても。
「ははは、なんか変なこと言っちまったな。でも誰かに話せて少しほっとしたんだよ。一人だと限界があってさ」
 アルバートは自分の心の内を話せて、落ち着いているのか先ほどの張り詰めた表情から一転、普段の彼に戻っていた。
 彼はロアを信じている。
 その真実だけでも今のロアには十分、胸に突き刺さるものがあり、何故人の告白を聞かねばならないのだと思わず零したくなる。
「やっぱ、ロアって皆の相談役ってだけあってなんていうか頼りになるっていうかさ。何かコツでもあるのか?」
「いや別に。ただ人の話を聞くだけだよ、それが一番重要だからね」
 そうすることによって自分は人よりも多くの情報を得て、でもそれが時に傷つくことにもなるけどねと、最後にロアは心の中で付け足す。
「……って俺、読書の邪魔をしちまったみたいだな……。俺、戻るよ……今ロアに言ってもさ本当に言わないといけない奴にはまだ何も言ってない」
 一瞬、アルバートの表情に憂いの色が見えたが、ロアは見ないふりをし
「私は何も言わないよ……君がそう決めたのなら」
 『相談役』としてロアは最後にそう告げた。


 いつか告げられるような予感はしていた。それに対し、ある程度の覚悟はできていたはずなのに、なのに何故今自分はここまでおちているのだろうとロアは思った。
 まだ冷静な表情ではいられた、しかし心は違う。
 傷ついた自分を治してくれるのは回復魔法でもなければ、薬でもない。
 ただ彼女の姿を見て、声が聞きたいと思った。
 その彼の願いに味方したのか、トントンと小さくノックがあった後、ゆっくり扉を開け、顔を覗かせる彼女の姿にロアは安堵した。
「ロア……今平気?」
「……あぁ、平気だよ。いいから、入っておいで」
 ロアに促され、バースは椅子に腰をかける。
「それでどうしたのだい。私のところに来てくれるなんて嬉しいよ」
 今日はアルバートの告白で疲れていたが、それでもバースの姿を見たかったという気持ちのほうが勝っていた。
「あのさ、オレってあんまりものとか知らないし、それで頼れるのがロアしかいなかったからさ」
「そうか……私が……いや、なんでもない。それで何が知りたいのかな」
 これは間違いなく優越感だった。彼女の口から頼れるのが自分しかいないというのが嬉しかった。ずっと傍にいて、彼女をそっと手助けし続けた結果だろう。彼女の為なら如何なることだってしても構わないというのがロアの中にあった。だが、次に繰り出されたバースの台詞にロアの背筋は氷る。
「ロアは誰かを本気で好きになったことある」
 その言葉にデジャブを覚える。確かこの台詞を少し前に聞いた筈だ。その後ロアは、先の展開を見事に読んだ。
 ロアは無意識にバースの真意を探る。不吉な考えしか頭の中を過らず、これだけは外れてほしいと何度も願う。
 それを彼女の口から聞くには、堪えられそうにない。
「どうして私にそれを。今までそういうことに何ら興味を示さなかったのに」
 バースは一瞬、ムッとした表情を浮かべるがすぐにいつもの表情に戻し、
「今、意地の悪いこと言わなくてもいいだろう。オレも最初はそう思っていたよ。でもこの頃、おかしいんだよ。オレ、ずっと一人でおかしくなっている」
 ロアは瞳を伏せる。今まで近くで見ていたからこそ、些細な表情で彼女の気持ちを読み取ることができる。
「もしこれが本気で誰かを好きになるっていう意味なら、オレは今」
 バースはこの先が言えず、小さく口を開いたままだった。恐らくその先には皆が知る名前が出てくるに違いない。だがそう知りつつも、ロアはその事実を認めたくはなかった。
「す、好きなのだと思う。……アルバートのこと」
 この時、体中の血液が一気になくなるように、急に体が冷たくなっていくのを感じた。自分は表情を崩さずに彼女の話を聞けているだろうか、もしかしたら表情が歪んでいるかもしれない。しかしバースはそれに気付かない。
「誰に言えばいいかわからなくて、ロアならって。ロアはまるで、お兄さんみたいだからさ。だから相談できるかなって」
 普段なら彼女が見せる照れ顔を可愛いねと、茶化すことができただろう。だが今はそんな余裕などなかった。
「ロア……どうしたの」
「……くれ」
「え?」
「……悪いけど帰ってくれ」
 限界だった。これ以上彼女の口から男として見られないことも、違う人に思いを抱いていることも聞きたくなかった。
 バースが何か言っていたような気がしたが、ロアはバースの背を押し、部屋から追い出すと鍵をかける。
 暫く自分の名を呼ぶ声と、扉を叩く音が響く。
 思わず煩いと叫びそうになる。だが彼の心の中に、彼女への思いやりが残っているのが幸いだった。
 彼女ももう何をしても無理だと感じたのだろう。足跡が遠のくのを感じると、息を吐き、ベッドに倒れ込む。こんな醜態を見せたのは一体いつだろうとロアは問いかける。普段は冷静沈着で、皆の相談役として位置していた。だが彼には彼の思いがあり、それを自然に隠していた節があると言われたらきっとロアは否定しないだろう。
 元より自分が悪かったというのは薄々勘づいていたのだと思う。自分がいかに一人の女性として守りたいと願っていても、彼女にとってはただの、
「兄か……参ったね、本当」
 自嘲的にロアはくすくすと笑う。ベッドに倒れ込んだ時に髪が彼の瞳を覆ってしまい、表情を口元から察するしかできなかった。
 ただその笑い声は決して本当におかしいからというわけではない。
 哀しい笑い声だ。
――どこで私は道を間違えたかな。
 ずっとそう問いかけても答が見つからない。
 ただ今まで築き上げていた関係が壊れるのが恐ろしくて、今までずっと目を背けていたのかもしれない。だから彼は間違えた。
 望んでいたのは『兄』の位置ではない。
「……だったのに」
 小さく零れる。
「君が女の子だと知った時からずっと」
 アルバートの時もバースの時も、誰かが必ず最後の告白を聞いてくれた。だがロアにはこの告白を聞いてくれる人はいない。
「ずっと……好きだったよ」
 寂しい一人の告白。
 その時の声は今までに聞いたことのないほどの切なく、今にも消えそうな声だった――


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