何故彼女が泣いているのか、タッドにはわからなかった。しかし様子から察するに、このまま一人にすることだけはできない。
 でも一体、どんな言葉を与えれば落ち着くのかわからず、ただ黙ることしか出来ない。
 ――いや、理由はわかっていたのかもしれない。彼女がここまで泣く理由を考えていったら消去法で答えは絞られていく。だからこそ、謎だった。
 いつも仲良く見えたというのに、なのに何故ここまで関係が崩れていったのだろう。
 普段は子供らしく皆からからかわれるタッドではあったが、今だけは妙に冷静だった。これがいつもの状態ならば立派だが、どうもそうはいかないようだ。
 こうして冷静に考えられるのも一時的で、きっと彼女と会話を始めたらいつもの自分に戻っている。
 だからこそ、今くらいは神の名に恥じないような判断力が必要だった。
 それでも今の彼女に話しかける言葉が見当たらない。小さく肩を震わせ、胸を濡らしているというのに。
「……んね」
「今、何て……?」
「ごめんね、タッドちゃん。ソフィーはお姉ちゃんなのに」
「そんなの関係ない……男だから」
「はは……でも嬉しいよ? ありがとう」
 嘘だとタッドは叫びたかった。本当に『ありがとう』と言う人間がそんなにも悲しい目で感謝の言葉を述べるはずなどなかった。
 今の自分にはこれ以上のことをすることができない。そう思うと、自分の不甲斐なさに下唇を強く噛む。
 口内に鉄の味が広がるが、そのことを忘れるように強くずっと噛み続けていた。


 気がつけば空はオレンジに染まり、着実に闇に染まっていく。
 その中、ジョニーとリナの二人は仲間が帰ってくるのを待っていた。簡単に言うなればジョニーとリナは荷物番だった。
「こうやって待つのも案外暇ね」
「はは、確かに。早く戻ってこないかな……」
 あまり遅くなると、いくら魔物が出ないと言われても危険であろう。何せ旅慣れした旅人でも、篝火なしに森の中にいるというのは無理がある。一応ランタンは渡されていたので、あまりにも遅くなるようであるならつける気はいたができることならつける前には帰ってきて欲しいものだ。
 でも本当はそれだけの理由だけではない。何となく仲間達の中でよからぬ空気が流れていることを感じていた。誰もあえて口にだそうとはしないが、それでも何かあったのを感じることくらいはできる。
 だが誰もそのことを話そうとせず、いつの間にか知らぬフリをするのがルールとなってきてしまっている。
 いつから変わってしまったのか、それは明らかである朝からもう様子が違っていた。
 それを誰も触れようとしない、いや知っているが言えない――そんな状況だった。

「……リナ、ボクさ」
「言わなくてもいいわよ、何となく察しはできたから。私もよくわからない、何でそうなのかって。腫れ物でも扱うようね」
「どうせならボクは話してほしいよ。だって寂しいじゃないか、ボクってそんなに頼りないのかな? 確かに強くはないけどさ、でもボク達って仲間だよね?」
「いくら仲間だって言えることと言えないことくらいあるでしょ」
 『でも』と続けるジョニーの口をリナは遮り、
「今の私達にはすることはない、代わりに受け入れる準備ならいつでもできる……違う? 心配に思うのはジョニーだけじゃない、私だって願い叶うならもう聞いてるわよ」
 はっきりとリナが言い切ることによって、この口論は終わる。
 これはジレンマだった。
 普段なら楽しくムードを作るアルバートや、ソフィーが一言も喋ろうともしない。暑苦しいほどにいちゃつく二人が、まるでこの場にいないような扱い方をしている。その影響なのだろうか、皆の口がどこか重い。
 タッドもジャックとじゃれあうようなこともなければ、冷静に構えるロアが冷静を越えて時折、冷酷に見えるときがあった。
 あの時、倒した魔物の血を頬につけたまま『別に』と静かに微笑む彼が怖かった。
 バースが話しかけても、ロクに返答もせずに静かに歩を進めてしまう。
 ここまでくれば、仲間内にも嫌な空気が浸透していくのは時間の問題であった。だからこそジョニーとリナを置き、皆で出て行ってしまったことが悔やまれるのだ。
「喧嘩しないといいね」
「それだけは……何ともいえない。まぁスイフリー達もいるから平気だと思うけど」
 もし本気でぶつかり合えば、森一つが焼け野原になってもおかしくないだろう。冷静に考えると、今は非常に穏健であるが一度力が開放されれば強大な力を持つ「魔王」と「神」なのだ。
「……冗談でも考えたくないよね」 
 ジョニーは乾いた笑いを浮かべ、リナもつられて笑おうとした時だ。
 リナの視線に、銀色の髪に黒い外套を羽織った男の姿が目に入る。その男の表情は穏やかなものであったが肌は青白く、だがよく見ると外套はところどころ破れおり、頬に残った黒いものが固まった血であることに気付くのに時間がかかった。
「悪いね、驚かせるつもりは更々なくてただ声をかける機会を窺っていただけだよ……」
「それで何か私達に用ですか?」
 リナは男に知られないように、そっと腰につけているナイフに手を伸ばす。
「そう身構えないで欲しいな。私には恐らくもう時間がない」
「まずどうしてボク達のことを知っているのか、そして何を言おうとしているんですか?」
「……君達の友達――仲間が正しい? 分裂した魔王と神を仲間とした人の子よ」
 にっこりと男は微笑むが、その口調は先ほどの頼りない雰囲気とは一転し、凛とした声へと変わっていく。
「一体、何者。敵?」
「違う。私は最後の力を持って、君達に真実を伝えにきた。だから暢気に戦う余力などもう残ってはいない」
「そんなことが信じられるとでも」
「でも信じてもらうしかない。そうしてくれないと私がここに来たこと全てが無駄になる。私は今まで何もすることができなかった、だから最後くらいは力になりたい」
 ジョニーは目の前に立つこの男に、言葉に表現できない何かを抱いていた。
 本来なら自分も鞭に手をかけるべきなのだが、自分の体がこの男を敵ではないと言っているのだ。
「じゃあ一体、誰だと言うんだい。本当に敵じゃないなら自分の正体くらい明かしてくれるのだろうね?」
「もちろんだとも。まず皆は私をある固有名詞で呼ぶ、今はそれに『前代』という言葉がつくのだが……改めて挨拶しようか」
 再び優しく笑みを浮かべ、
「私は前代の魔王。今一緒にいる魔王の父親という位置にいるものだよ」
 宜しくと微笑む男は、決して法螺でなく本気で言っている様子が汲み取れる。だが、いきなり前代魔王や父親だといわれて素直に受け入れられるほど二人の頭は柔軟ではない。

「ぜ、前代って……ちょっとおかしなこと言うのはやめて」
「でも嘘ではないよ、なら証拠にこの場所を全て荒地にすれば気が済むのか? 『その程度』で理解してくれるなら今からしてあげよう、君達の命は残して」
「駄目! そんなことさせない、それだけは……」
「大丈夫だよ、そんなことをしたら息子達に叱られてしまうよ。……それにやっと戻ってきてくれたから丁度いいね」 
 男のこの台詞はジョニー達に向けたものではない、それはジョニー達の後ろに立つ、
「……何故、ここに父上が……」
 ケイ達に向けられた言葉であったから。
 隣に立つ神達も同様に驚きを隠すことができない。彼らに言わせて見ればケイ達のつまり魔王の父親に当たる人物、前代の魔王となれば位置からしたら仇敵以外の言いようがないからだ。
「父上はもう死んでいる! なのにどうして……」
 夕暮れに浮かぶ、ケイ達の父親と名乗る男は妙に綺麗で、
「……さてどこから話せばいいのか」
 どこか悲しい。
 ここでふとジョニーはこの口調が、仲間であるロアとよく似ていることに気付く。純粋に髪色等を考えたら違うのだが、雰囲気や口調がよく似ていた。
 だからと悟る。
「あの、正直ボクには話しがついていけません。だから最初から話してもらってもいいですか?」
「……そう言ってくれると助かる。長くもなるし、もしかしたら知っている話をまた繰り返してしまうかもしれない」
「それでもいいです、その代わりきちんと真実を述べて下さい」
 前代魔王は静かに頷き、またケイ達も静かに頷く。
「私の正体はいいだろう? 息子……今は五つに分裂してしまっているようだが、彼らが言うように前代魔王で尚且つ父親でもあった。別に魔王や神が五つに分かれたり、今は人間と旅をしていてもそうは驚かないよ」
「何故、そう言い切れる? いつから我々を監視していた?」
 スイフリーの問いには棘が含まれており、そのあからさまさに一触即発の雰囲気と思えたのだが、彼はその棘をまったく気にする様子なく、

「監視ではなく、ただ遠くから見ていただけだ。何もできずにただ見ることしかできなかった。……話しを戻そう、さっき言ったが私の目的は一つ。私の持つ真実を君達に告げること、今の私にはもう告げる力しか残されてない。このまま私が消えれば君達は何の情報も得ずに未知の敵と戦うことになる」
「やはり今まで命を狙われたのは偶然ではない? 一体、誰が私達を――」
「シムメール、グヴェン」
 力強くはっきりと言い切る。いや正しくは吐き捨てるというほうが正しいのかもしれない。今まで優しい表情でいた彼に一瞬だけ、衝動的な敵意の眼差しをしていた。
「……どうしてシムメールがあたし達を狙うというの? 何かの間違いなら容赦しないわよ?」
「いや真実だ。実際に私はこの二人に――殺された」
 空気が重く凍る。もし彼の言うことが正しいなら、今ジョニー達の前に立つ彼は一体どういうことなのだろうか。
「何故、驚く? さっき言っただろう『父上は死んだと』その通り、もう私は死んだ。あの二人に監禁され、拷問を受け……死人に口なしと言うが、でもそうはさせない。私の存在を甘くみた彼らの敗因でしかない。仕組みを話すのは面倒だから省略するが、今の私は実体のない残留思念でしかない。だから君達と話し終えたら消える」
「じゃあどうしてそいつらが親父を殺して、俺達も殺すっていうんだよ」
「邪魔だからだよ。君達は魔王で、神だ。今の君達の地位が欲しいのだろう」
「そんな、そんなくだらない理由でスイフリー達を殺すっていうつもり? 馬鹿げてる。それにさっきからその二人って何者だっていうの」
「シムメールは私達、神の補佐官として常にサポートしてきてくれた人です。実際、彼の頭脳に助けられた場面とかがあるんです。でも私が見る限り、とてもではないけど神の地位を狙っているなんて」
 セイラ同様、スイフリー達もシムメールに絶対的信頼を置いていた分、前代魔王の語る真実についていけない様子である。
「グヴェンは父さんの親友だよ。オレ達もあまりよく話すっていうわけじゃないけど、人から聞くにはがさつだけど父さんを裏切るようなタイプじゃないって。それにそのグヴェンに父さんが死んだって聞いたんだ……確か敵にやられたとかで」
「でも実際にあの二人は裏で手を組み、私を殺し――前代の神も手にかけた」
「ちょっと待て。ますます話が読めないぞ、何で前代魔王だけでなく前代の神まで殺すっていうんだよ」
「前代の神っていうと……」
「私達の母親ということになります。確かにジャックが言うように、貴方の話はおかしいことがあります。何故シムメールが母を殺したのか」

「二人が君達の命を狙う理由はある隠された真実が関係してきている。それは……魔王と神の出生。この出生の真実を二人が知っているから私と彼女を殺し、君達も殺そうといたんだよ」
 前代魔王は一呼吸、置く。その先を話すことに躊躇うかのように、静かに重く息をはく。
「魔王と神は常に敵対とされてきた。魔王が神と交わろうなどとまさに禁忌、でもある愚かな魔王はその禁忌を破った。……私には魔王としての素質などなかったのだろう。残虐性に欠け、争いを好まない穏健派だったからね。でも彼女はその考えを理解してくれた、初めての理解者に私は特別な感情を抱き、彼女も同じ感情を抱いた。しかし私達の関係は決して許されない、だから人知れずに逢瀬を重ねることしかできなかった。ある時、彼女が二人の子を身ごもり私達は嬉しかった、でもそれを素直に喜べる環境ではない。私達にできるそれぞれ二人の子を分けて連れて帰ることしかできなかった。
 ……君達は別に純粋に魔から聖から生まれたのではない。今現在の神と魔王は互いに姉弟であり、その父親は私で母親は前代神だ。この決して知られてはならない真実をあの二人は知ってしまった。だから彼女はシムメールに殺され、私は二人に殺された。あの二人は混血である君達を魔王・神であると思っていない、真の魔王と神は純血であると決まっている。彼らに言わせて見ればこれは異端者を消すだけの『掃除』でしかない。でも私は勝てなかった、彼女を殺されたときに狂ってでも刺し違えればよかった……」

「そんなこと、いくら貴方でも信じられるわけない。私達には神の血も流れているなんて」
「むしろそれは君がその証拠を示しているではないか」
 ロアが小さく声を漏らす。
「その十字架は何だ、何故教会にいても他と違って平気でいられた? あの時は人間としていたから? 違う、君には神聖なるものへの耐性が一番強いのだ。それもそうだ、神の血が流れていれば問題ないからね」
「なら私の存在、そのものが出世の裏づけだと……でもそうなら確かに私の中にあった疑問は片付く。あの時、記憶のない私はジョニー達を助けようと聖水に腕を入れた。でも殆ど、障害を感じなかった」
「この真実をすぐに受け入れろとは言わない、だからまくしたてるように言ったことは謝る。でも時間がない、もう私の体も限界なのだよ」
 ふと足元を見ると、彼のつま先が消えていた。
「私は父親らしいことなど何もできなかった、ましてや最後に重大なことを言うだけ言って消えてしまうのだから性質が悪い。でも私は一日たりも君達を忘れたことはない、彼女を愛していたように君達を愛している。本当なら彼女のことももっと話したかった、君達の母親は実に優しく強い女性であったことを」
 腰まで体が消えていき、ごとんと古ぼけた懐中時計が地面に落ちる。
「……この時計を持っているといい。この時計は一度だけ時を止める、だから使いどころを誤らなければ切り札になる」
「なら、どうしてこの時計を……奥さんが殺されたときに使わなかったんですか? だって止めることができるなら、殺される前に止められたのなら」
「この時計の動力は命なのだよ。その時、この時計にはそんな力などなかった、私が二人に殺されるとき私は自分の命をこの時計にこめた。いつか子供達に何かある時に少しでも役にたてるようにと」
「だったら貴方は何もできない父親じゃない、こうして命をかけてケイ達に真実を伝えて、命を時計の動力にした。それだけでも十分父親らしい行動だとボクは思う」
「……そうか、ならいい。私が少しでも役にたてたのなら」
 そっと上を見上げる。もう首が消えかかり、あと少ししたら全て消えてしまうだろう。
「……やっと彼女の元へ行けるのかな。ずっと待たせてしまった……本当にすまない」
 それが前代魔王の最後の言葉だった。
 ジョニーは前代魔王、ケイ達の心中を思うと一体何と言えばいいのかわからなかった。ただ背を見つめることかできない。
「……どうしてこう色んなことって重なっちゃうんだろ……」
 ソフィーのか細い声がやけに響き渡り、それ以上何か発することがなかった。


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