その時、ロアは決意を固めていた。
 先ほどのバースと共に時間を過ごしたときから、このまま傍観者でいることを彼は止めた。今までアルバートとバースの仲を持つように傍観者としていようと彼は思っていたが、その気持ちに揺らぎが生じてきたのは一体いつだろうか。
 それは彼が思う程よりも早く訪れていたのかもしれない。
 彼は今まで、自分の中で完全に思いを封じたつもりでいたが、実は封じることができず、いつ溢れてもおかしくない状態であったのかもしれない。
 だから彼は仕事を理由にアルバートがいる大陸から、無意識に逃げ出したのかもしれない。大陸を越えた仕事というのは彼にとっては予想外の出来事であったが、だが同時に彼にとってはこれほど気の利いたものはなかった。
 バースの姿を見るということは自然とアルバートの存在を感じざるを得なく、そのたびに強く気持ちを否定する自分に疲れ果てたのだろう。
 しかし二人は同じ大陸へ来てしまった。
 ロアは何故と落胆しつつも、同時にバースに会えた喜びを感じていた。
 やはりロアは自分では上手く消したつもりでも、今まで積み重ねてきた想いを消すことはできなかった。
 バースへの想いは断ち切るどころか、日に深まる想いへと変わっていた。
「……言ってる意味がわかんねぇよ」
 アルバートの声は小さく震えている。
「今まで黙っていたことは謝る。しかしこのまま大人しく引くことはもうできない」
 ロアはアルバートの震えを無視し、言葉を続ける。
「私は彼女を……」
「いい加減にしろ」
 鈍く、低い音が当たりを包む。アルバートが怒りのあまり木を殴りつけ、木が大きく揺れたのだ。
「今更、聞けるかよ。そんなこと言われても迷惑なんだよ」
「君とぶつかることは承知の上だ。だが言わせてもらう、君はバースをどこまで守ってやれた? 彼女が辛い時に一緒にいられたのか、いなかったじゃないか。君では荷が重過ぎる」
「言わせておけば」
「でもそれを否定することはできないだろう」
 アルバートが怒りに燃える瞳であれば、ロアの瞳は落ち着きを払いながらも鋭かった。
「じゃあどうして俺が相談したとき、何も言わなかったんだよ! それを今頃当然のように主張してんじゃねぇよ」
「ちょ、アルさんにロア! なに揉めちゃってんのさ!」
 トラが駆け寄り、二人の間に入ろうとするが二人の様子にトラは息を飲む。二人の表情をトラは今まで見たことがなく、一体この二人の中に何が起こったというのを理解することはできなかった。
「トラは下がってろ、これは俺達の話だ」
「いやいや、そんなレベルじゃないって……! よくわかんねぇけど、まずは落ち着け。つか残されたオレとバースはどーすりゃいいわけよ?」
「……アルバート、ロア……」
 バースが不安そうに呟き、二人は思わず彼女を見てしまう。今まで厳しい表情をしていた二人は、その時ばかりは咄嗟に困ったような表情でバースを見た。
 明らかにバースが関わる話であり、バースには必ず伝えるべき話でもあった。しかしいざこの状況を迎えてみると、互いにどう話を切り出せばよいのかと迷ってしまう。
 ロアの決意に揺るぎはなかった、だからこそアルバートはロアを許せなかった。
 それは真実である。
「アルバートにある決意を伝えていた」
 重たい口をロアがゆっくりと開く。
「おい、ロアっ」
「もう隠すことはできない……それにここまで来てしまったからね」
 改めてバースを見つめる。その瞳はアルバートに向けていた鋭さはなく、だからといって普段のロアの表情とも違っていた。
「私は君を仲間という立場ではなく、一人と男として君を護りたいんだ」
「ぇ……まもりたいって、それ、ちょっと待って……だってロアはいつもオレを」
「最初は君達の仲を知っていたから、ずっと仲間でいようとした。でもそれでは私の気持ちから逃げてしまっている、私は君をただの仲間としては見れない。君は私の中では既に特別な存在になっていたんだよ」
 バースは静かに頭を下げる。何か彼女は呟いていたようだか、三人にはそれは聞き取れず、そしてあえて聞こうともしなかった。
「……ごめん。いきなりすぎて話がついていけない。だから今はもう話さないで、お願いだから」
 バースのこの一言でロアとアルバートは黙り込み、一人新たな関係性を知ったトラも黙るしか道がなかった。


 この日、今まであったものが全て壊れた。
 壊れたといっても、本当は既に壊れかけていて、いつ壊れてもおかしくはなかった。だから壊れても当然といえば当然でもあった。
 ロアは一人、自室にこもっていた。
 あのまま、移動する気にもなれず結局は宿屋へと足早に戻ってしまっていた。
 正直、今の雰囲気はやりにくい。これも自分が作ってしまったことくらい、十分に理解している。しかし彼は後悔に襲われることはなかった。
 今まで何度も自分から逃げていたことを思うと、やっと後悔のしない行動を取れたからだ。
 ただ彼がどうしても思うことは、自分の行動によってバースを苦しめたことである。先ほどのバースの声は無理やり絞りきったようにやっとの思いという風に聞き取れ、その原因を作ったのは間違いなく自分である。
 しかし彼はバースの元へいけなかった。
 やはり彼はどこか、バースに対する恐れがあった。
 自分の想いは伝えたが、これが必ずしも伝わるわけではない。彼女から否定の言葉を紡がれるのが一番耐えられなかったのだ。
「何をしたのか……いや、でもこれでよかった。私はどうしても……」
 このようなことを、何度自分に対し言ったのかロアは明確には覚えてない。
 ロアがバースを女の子として考えたのは昔に遡る。
 彼がまだ「魔王」という自覚を持ち、ジョニーに出会う前のこと。二人だけで一時ほど共にしたことがあった。
 その時のロアはまだ人の感情を覚えたばかりで、彼女を特別な目で見ることはできなかっただろう。だが彼らはジョニーと出会い、変わった。
 ロアは今まで一緒にいたバースを「ただの仲間」から「特別と思える存在」と思えた。
 自分と彼女を繋ぐ秘密を大事とし、彼女を守っていこうと思っていた。
 彼が今まで彼女の元を離れようと思わなかったのは、純粋に彼女を守りたいという気持ちと、自分の淡い気持ちの表れでもあった。しかし月日がたち、彼の立ち位置が変わっていった。
 それはアルバートがバースを特別と思い始めたことであろう。
 アルバート、バース、双方のことを知ったとき、ロアは自分から離れる決意を固めようとした。一度、これは最後だと自分に言い聞かせても、自分の中である気持ちは消えゆくことはない。
 今まで行動に移れなかった自分は確かに弱いだろうとロアは嘲笑する。
 その時、静かにドアが叩かれた。
 きっとバースに違いない、そうロアは感じた。彼女なりの答えを伝えに来たに違いない、もし彼女でなければアルバートである。
「どちらにせよか……」
 どうぞと、静かに呟く。ゆっくり開かれたドアからは自分が想像した人物が、真剣な表情をしたままロアの目を見たのだった。


 正直、言っていることがわからない。
 それはバースが一番に感じたことであった。今まで、彼女の中でロアという人物の位置は、仲間よりも大きく、ただし特別な感情と問われれば、違うと答えてしまうかもしれない間柄であった。
 まずバースはアルバートから一途な想いを受けていた。アルバートは、返事はいつでもいいと言い、彼女はそれにまだ答えていない。
 ただアルバートが嫌いというわけではない。彼女の中で、このまっすぐな思いに対してどう答えればいいのかそれがわからなかった。バースは過去にアルバートを嫌っており、それを思うと今の自分は随分変わったと彼女自身感じている。
 今まで彼女がアルバートに対して、答えを出せなかった理由。
 それは彼女の中で「恋愛」というものが何であるのかを明確にすることができなかったせいである。今まで自分は酷く無縁な場所にいたと思い込んでしまっていた。
 しかしアルバートからロアから告げられた言葉、それはバースの中から「女の子」という一面を引き出した。
「……きっと来ると思っていたよ」
 目の前に立つロアは、来るのを予知していたかのように平然としている。バースはロアに対する、自分なりの答えをまとめたつもりでいたが、いざ本人を前にするとどう切り出していいのかがわからない。
「オレ、ずっと……考えたよ。アルバートに言われたことだってちゃんと覚えてる、だからロアがそんなこと言ってくるなんて正直想像してなかった。だから言われた時、本当にどうしていいのかオレは迷った」
 しかし彼女はうっすらと、迷いの中にどこか安心さを感じていることを知っていた。
「……オレはきっとロアには応えられない」
 バースはこの一言を伝えるのにどれだけの時間を要したであろうか。ゆっくりと間違えずに、彼女は否定の言葉を述べた。
 自分でもこれが正しいと何度も言い聞かせつつの拒絶である。
「だから……」
「いや、いいよ。それ以上は何も、何も言わないでくれるかな」
 ゆっくりとロアがバースの横を過ぎていく。その彼を止める言葉など彼女は持ち合わせていなかった。
 今のバースには何一つすることなどない、いやできなかった。
 静かにただ背中を見つめるのみで、消えゆく背中に向かって声をかけることも触れることも許されはしなかった。
「これで、これでよかったんだよね」
 自分にはアルバートがいる、そう心の中で呟いた。
「馬鹿だけど、いつも一生懸命で……」
 アルバートの姿をバースは思い出そうとした。
「あ……れ、おかしい。どうしてだろう……」
 彼女の中で思い出されるのは輝く金髪の彼ではなく、漆黒の色合いを持った男。
 毎回、馬鹿をやって大声で笑う彼ではなく、いつも微笑みを携えた男。
「違うよ。オレ、なに違うこと考えてるの……オレが思うのは」
『……仮にそんな相手がいたとしても遠すぎて手が届かない場所にいるから無理だよ。きっと伝わることはない』
 空を翔る馬車で交わされた話。その時のロアは自分の想う人は手に届かないと呟いていた。
『……本当に君は酷いことをいうね……』
 それはきっと彼女が彼への思いを気付いていないから。
『ルイもそうだけど今言ったのは君なんだけどね』
 可愛いという彼の言葉には、からかいだけでなく本心が含まれていることをバースは見抜けなかった。
「いやだ、いやだ……」
『だから、私ももう逃げない。自分の気持ちにウソはつかない』
「あたたかっ……」
 雫が頬を濡らしていく。
「でも……遅い。おそいよ……」
「遅くなんかないさ」
 バースが振り向くと、そこにはアルバートが立っていた。彼は普段の表情を見せたまま、
「まだ走れば間に合うさ」
「だめ……オレ、もうできない。だってアルバートが……」
「俺のことはさ、いいんだ。……そんなバースが嬉しくなさそうにいるほうが辛い」
「でも、そうしたらオレ……アルバートに酷いこと」
「まだちゃんと答えとか聞いてなかっただろう? だからある意味、今はっきり聞けたって感じがする。確かに最初はロアがあんなこと言った時は本気で許せなかった。今ももしかしたらそうかもしんねぇ。でも、それとは別に俺はバースが笑ってる顔を見るのが好きなんだよ。いや、俺だけじゃない、ロアだって同じだ」
 くしゃりとアルバートの大きな手がバースの頭を撫でる。
「だから本当に笑える相手の傍にいろよ。それがもし俺だったら今すぐにここで抱き締める。違うんだろ? だったら今すぐ走って追いかけろって、スピードが自慢じゃないか」
「アルバート……本当にごめん……で、も……ありがとう」
 バースは指で涙を拭うと、部屋を飛び出していた。彼女の目は先ほどまで見せた迷いはなく、決意のあらわれが見えた。
 アルバートはふと、トラの元へ行こうと思った。トラは何だかんだとアルバートを気遣い、きっと今でもなにやら考えているに違いない。
「……これでまた泣かせたら、本気で殴るからな……ロア」


 不思議とロアはさっぱりした気持ちでいた。
「もう何も失うものなどない……ということかな」
 さて、これからどうしようかとロアは考える。今のままでは非常に気まずいことは確かであって、なら仕事に戻ればいいと思った。
 しかし彼はどうしてもトラから離れるわけにはいかない。アルバートと仲が特別いい分、トラはずっと彼といるだろう。しかしそれでは何の意味がなかった。
 結局のところ、気まずさは残ったままで相手も自分も息苦しい。
「おかしいな、もっと傷つくと思っていた」
 それとも限界を超えたからこそ、何も思わなくなったのかもしれない。彼の思考は全くといっていいほど機能しておらず、自分が今どんな表情をしているのかですらさえわからない。とにかく人目に触れない道を選び、いまだに誰一人とも会っていないのは幸いだと思う。
「……ま、待って!」
 か細く聞こえた声。普段なら聞き逃すまいと思っていても、今のロアはそこまで神経は研ぎ澄まされていない。しかし彼は何となく呼ばれた予感がして、視線を向けるとそこにはバースが息を切らせながら立っていた。
「一体、何の用だい。君が来るところはここではない」
「違うよ……聞いてほしいことが……」
「今、聞くこともないだろう」
「逃げないで!」
 また背を向けたロアにバースが駆けていく。ロアの足は背を向けたまま、何故かそこで動けなくなっていた。彼女の言葉に引き止められる自分がそこにいて、もう自分は彼女を想うことを許されないはずだというのに、彼女の言葉を自然と受け入れてしまう自分がいた。
 バースの腕が伸び、ロアの胸にゆっくり交差される。
「ちゃんと聞いて。じゃないとオレ……一人になるよ」
「……ならどうして君はここへ戻ってきたんだい」
 背に伝わる確かな体温に、ロアは身を全て預けたい衝動に駆られた。
「オレ違ってた。オレの中にアルバートは……いなかった。思い出そうとすると、アルバートじゃなくてロアが浮かんでくる。優しく微笑んだり、からかったり……抱き締めてくれたこと」
「酷いことを君は言う」
「酷くなんか……! オレ、一度断ったくせにまたこんなこと言って、本当に最低だって思ってる。軽い女にきっと見える、だったら最初からちゃんと自分の気持ちわかってたらよかったよね」
 抱く腕がするりと抜け、バースの温もりがそっと離れていく。ロアはすぐさま後ろを振り向いた。
「……もう遅いかな。オレは……だめだったの……かな」
 バースは泣かないように極力、微笑みを浮かべようとしていた。しかし目尻に光る露を見て、ロアは言葉をなくし、バースの腕を掴むと強く自分に引き寄せた。
「君はこんな私を、不謹慎だと笑うかい。やはり駄目らしい、君を何度忘れようとしても、忘れられない。むしろ愛しさが増した、このまま離したくない。ずっとこの腕の中で安らいでほしいと願ってしまうよ」
 ロアはバースに視線を落とし、バースはロアに視線を合わせる。二人は見つめあい、ロアがいつもの微笑みを浮かべたときバースの頬がほんのりと赤く染まった。
「恥ずかしいから見ないで……」
「それはできない相談だよ。私は君を大事にしたい、だからこのまま離したくもない。……君のこと、私が絶対に護りぬくよ。だから……傍にいてくれるかい?」
 バースの顔が更に赤くなり、恥ずかしさのあまり体をよじるが、全く意味がないと悟るとせめての抵抗というように俯きながら静かに頷いた。

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