手を広げて、落ちないように守っていた。
 だけど指からするりとそれは落ちる。
 その時、誰かが声を張り上げながら泣いていた。
 何故、泣いているのか今の状態ではわからない。

 うっすらと靄がかかったまま、ただわかることは誰が泣いているということだけ。


 滑り落ちたものは決して元には戻らない。
 だから悲しくて泣いている。
 そして、そのまま崩れたような気がした――


Fate
第4章 時来たれり、魔王静かに笑む

 シャロンは目の前に立つ……恐らく男性と思われる人物を前に、どう会話に華を咲かせていいのかと困っていた。
「ふふ、アタイの美しさに上手く言葉がならないみたいね」
「いや……その……」
「ジョニーのオカマが気持ち悪いって言ってるんだよ」
「ちょっ! 何、その言い草! ボクだってボクだって……」
「いいんだよ、シャロン。気持ち悪いならそうはっきり言っても」
「あ、でもバースさん……べ、別にジョニーさんを気持ち悪いだなんて……ただ大変珍しい方だと」
 別に変に気を使う必要はないと、バースははっきりと言い切る。
「そうやって照れて……アタイのバースは」
「誰のバースだって?」
 ジョニーの隣にいつもの微笑みを浮かべたロアが立っている。一体、いつの間に立っていたのかという考えは最早考えないでおく。
「あっははは、ボクは空気くらい読めるさ」
「……ならいいのだけれどね。だったら今はもう少し静かにしてくれると嬉しいんだが」
 彼の手には読みかけの本があり、読書中をジョニーに邪魔されたというのは言わなくてもわかる。
「いいじゃないか、これからのことを思えばボクのテンションも自然とあがるというものさ」
 ジョニーは狭い部屋の中だというのに、今の気持ちを誇張するかのように大きな手振りでこう叫ぶ。
「だってボクの念願である、女になるというのが叶うんだ! これを喜ばずして何と言おう」
 すっかり自分に心酔し始めたのか、何度も聞かされたこの事の始まりについて、長々と話始める。
 ジョニーがこの事を知ったのは、ロア達がトラと別れを告げ、慣れ親しんだ大陸に戻ってきてから数日のことである。彼はまだ女になるという夢を諦めていなかったのか、一人でこっそりと情報収集に明け暮れていたらしい。
 普段なら彼の傍にいるケイの姿はなく、どうしたのかと聞いてみたら
『またいつもの癖だ』と、ジョニーは小さく笑っていた。どうやら彼女の中にある修行への思いが大きく膨らんだのだろう。彼女は修行の旅に言ってしまったとジョニーは続けて、そう述べた。
 すっかり自分も連れて行かれるのかと思えば、まずは自分からしっかり鍛えてからだと言われてしまい、その代わり精進だけは怠らぬようにときつく言われたという。
 この二人の関係は相変わらずだとロア達が思いながら、ふとジョニーがこんなことを言ったのだ。
『ボクはもしかしたら本当の女になれるかもしれない』
 変な発言は今に始まったことではないと、バースは無視をしようとした。
『甘いね、バース。ボクが何も考えずにこんなことを言っていると思っているのかい? 今回は違うね、確証をもって言えるさ』
『……なら聞こうじゃないか』
『よくぞ言った。君達は知っているかい? この世界にあると言われる三つの勾玉を』
 ロアの表情は全く変わらない。恐らくジョニーのいう勾玉というのは妖精王から譲り受けたものをさすのだろう。
『三つ揃えると願いを叶えるという勾玉。最初は子供の夢物語かと思ってたけど、でも幾人の者が同じように勾玉を探しているという話を手に入れたのさ。これは決して絵本の中にある物語じゃない、本当に存在する秘宝なのさ!』
 馬鹿らしいと誰かが言うべきであった。しかしロアが目の前で妖精王から勾玉を譲り受けたところを見てしまっている。ただの偶然に違いないと思いつつも、この『偶然』が妙に恐ろしくジョニーには明かせない。
『更にボクは情報収集を重ねた。結果、ある大陸にその勾玉があると言われているのさ』
 ジョニーは微笑んだまま、ロアの手を取り、
『さぁボクと一緒に行こう』
 時は今に戻る。
「あぁ、本当に楽しみだ! これでボクが勾玉を手に入れたら……ムフフフってロア? どこかに行くのかい?」
「ちょっと……すぐに戻ってくるよ。決してバースや、特にシャロンを怯えさせないように」
「失礼な! ボクはシャロンやバースには優しくしているつもりさ!」
 彼はそう言っているが、初めてシャロンがジョニーと会った時、彼の強烈なキャラクターに引いていたことは事実だ。今は慣れてきたのか、ロア達と同じように接しているのだが時々、ジョニーのテンションについていけないときもあるらしい。
 ロアは扉を閉め、外の空気を吸いに行こうとデッキに向かう。
 あと、数時間もすれば終着点だ。彼のこの旅への意気込みはすさまじいもので、大陸の文化……という名の流行を調べ上げたらしく、郷に入るなら郷に従えと言わんばかりに服装から入るべきだと、服装を改めたのは約一週間前。
 流石に仕事を休んで行くわけにはいないとロアは主張したのにも関わらず、彼は何故かここにいる。受理されるはずもない休暇届が何故か受理され、周りからは『新婚旅行の下見ですか』とからかわれながら教会を出たのは五日前。
 無意識に手の甲を摩る。布越しに感じるのは肌の柔らかさではなく、無機質な肌触り。
 確か自分は妖精王から勾玉を譲り受けたのであって、決して体内に取り込んだ記憶はない。それはある朝、突然起こった。何か自分の甲がおかしい、寝ぼけた目でそれを見れば甲には見慣れぬ赤。
 何故という問いは何度もしてきた。しかしその『何故』に対する『答え』は一度も出ていない。気になるのは妖精王が念を押しながら大事に持つようにと言ったことだけである。
 それだけこの勾玉は重要な何かであった。
 ならその勾玉を自分に預けた理由が理解できない。
「……考え過ぎというのも悪い癖かな」
 本当はもう暫く一人でいたかったが、あまり長居をすると後で色々言われるに決まっている。その様子がありありと思い浮かべられるのか、ロアは小さく笑うときびすを返した。


「本当によかったの?」
 ロアが部屋から出て行き、ジョニーが鼻歌混じりにお茶を用意する中、バースはシャロンにそう問いかける。
「だって私は色々なところへ行ってみたかった。むしろ足手まといになる私を一緒に連れてってくれたことが嬉しくて」
「シャロンは足手まといなんかじゃない。オレが守ってあげる……きっとロアだって同じことを言うけど」
 嬉しそうにシャロンは微笑む。
 だが彼女もロア同様、静かに抱える何かを持っていた。
 それは現実というには残酷で、夢というほどの可愛らしいものでもない。
 信じたくもない悪夢だ。
 彼女自身、断片的でこれがどういう夢なのかはわからない。だがその時の夢を見ると、必ずといっていいほど気持ち悪さに襲われる。
 それが苦手な血の匂いだと気付くのに、四、五回かかった。
 夢で匂いを感じるというのも不思議な気持ちなのだが、何故だか夢の中では血の香りが漂う。
『あ……』
 実際に声が出たのかどうかはわからない。
 しかし口はそう動いた。
 からりと零れ落ちるものはなんだろうか。
 その先にはべっとりと濡れた血。
 崩れる人影。
 それを見る人影。
 そこでシャロンの夢は途切れる。
 彼女が見る悪夢はいつもこうだった。誰かが誰かを刺す夢。
「シャロン? 酔ったの?」
「え、いえっ……別に何でもありません。ただ新しい場所に行くのに緊張しちゃって」
「大丈夫だよ、オレもロアも……頼りないけどジョニーもいる」
「ぼ、ボクだって平気だって!」
「そういうほど不安になるってどうしてわからないかな」
「酷い……ボクだってやるときはやるって……」
 自分はこのやり取りが好きだ。
 皆が笑い、それを見続けることが。だから、この悪夢に決着をつけたい。これが杞憂であればいい、でももしこれが杞憂でなく本当に起こる出来事なら止めてみせる。
――私に何ができるかはわからないけど……でも
「喧嘩は止めてください、一体どうしたらいいのか……」
「平気、ヘタレのジョニーにははっきり言ったほうがいいから」
「だからヘタレって!」
 また始まってしまったと考えているうちに、扉が開かれロアの姿が目に入る。
「……やはり散歩はしないほうがよかったかな」
「いえ、平気ですよっ。ただお二方が非常に……仲がよいというか……」
「別に気を使う必要はないよ」
「っ! ロア、なんかボクに対して態度が酷くないか!」
「気のせいだよ」
「嘘だっ!」
 シャロンはただ笑うしかできなかった。でも同時にこのやり取りが楽しくもあった。
「でも本当に楽しみです」
「新しい場所へ行くことがかい?」
「えぇ、私の知らない世界が待っている。そこで一体、何を思い、何を知識として得られるかは分からないけど、でもその知識や思いが自分の糧になると嬉しくて」
「……君は本当に勉強家だね」
「ロアさんが色々教えてくださるおかげです。ロアさんは……父のようで、同時に先生とも思えます」
「ならシャロンの期待に応えられるように努力するよ」


 彼らは幸せだった。
 自分達に降りかかる不幸など知らず、知らぬ土地にそれぞれの思いを馳せて――
 そこでおこる新たな出会いも、全てはそう……
 ある悲劇の布石でしかない。


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