雨が降ると思い出す。
「もう疲れた……あいつ、君のスリーサイズを測らしてくれぇ、そうじゃないとボクは満足して寝る事ができないって言ってさ……ロア?」
 手を染めた日のことを。
「何でもないよ、バース」
 あの日も雨だった。
 しとしとと雨が降り続ける。
 あの時、もっと違う方法があったのに何と愚かなことをしたのだろう。
 何度、自分を責め悔いても戻らないあの雨の日。


『雨の日に』


 ロアは地を駆けていた。
 皆と別れ、一人なったロアは偽魔王を倒すべく北へ向っていた。話によると北には凶悪な魔物がいるという。
 それを聞き、北へ行くと言うと周りから英雄扱いされた。
 実にくだらないとロアは思う。
 彼は建前で笑みを浮かべ返したが、実際は愚かな人間だとあざけ笑っていた。これは魔王としては当然の反応であったからだ。
 がさっと草が何かに擦れあう音がした。どうやら背後に何かがいるらしいが、大して気をとめようとは思わなかった。というのも、
「た、助けて……くれ!」
 そこにいたのが人間だからだ。人間は三十代の男だろう腕からは血が流れ、手で押さえていた。
 一体何の仕業かはわかる。これは魔物以外に他ならない。
 そして魔物は人間を食らうつもりか、じわりじわりと男に詰め寄りつつある。
「頼む、兄ちゃん……」
 ――ここで人間共々まとめて斬るか?
 別に人を殺すことに何の躊躇いもない。だが
「……大丈夫ですよ、安心してください」
 思いとは裏腹に柔らかい笑みを浮かべると、一瞬で魔物を風で引き裂いた。雑魚相手に剣を作り出す必要もないと判断したからだ。
 血の匂いが辺りに充満する。
「もう平気ですよ、よかったですね」
 こうして微笑むことも回復をかけるのも手馴れたものだ。それは今まで何度か人間を回復した経験があり、最初はただの気まぐれでしていたのだがその気まぐれが今では研究の一環となっている。
 彼の研究とは、『人という姿をとる点において最も大事とすべき点』だった。そして彼が出した答えは、
「もう痛いところはないですか? ちゃんと回復をかけたから問題はないと思いますが……」
 『常に笑みを絶やさないこと』
 人は優しい人間には甘い。それがロアの出した結論だ。
 この生活を通じて思ったことは、案外人の生活はややこしいということだ。魔王の時ほど楽にはいかず、否応なしに人の生活に慣れる必要があった。
 何度か人を斬りたいという衝動に駆られることもあったが、今では多少なりは落ち着いたほうといえる。
「すげぇな兄ちゃん! すっかり怪我が治ったぜ。おっと、そういえば兄ちゃん今夜はどうするんだい?」
「今夜? 野宿か近くの町まで行こうかと」
「ふふふーん、なら俺に着いてこないか? しっかり町まで案内してやるって、ほら恩はきちんと返せって親父の癖でね。このまま兄ちゃん逃がしたら天国にいる親父に殴られちまう。まぁ得したと思って受けてくれや、なっ」
 ――よくある展開だ。
 彼がこう思うように、ロアは過去に何度か呼ばれたことがある。その時は素直に受け、『人』として接しられた筈だった。
「本当にいいんですか? ではお言葉に甘えて……」
 この時、ロアは以前と同じように『優しい人』で接し続けるのだろうと思った。だが、この町で起こったことをこの後の彼は二度と忘れることはしなかった。


「パパ、お帰りっ!」
「ミリアちゃーん、いい子に待ってたかな?」
 道中でわかったことはロアが助けたこの男ランディには妻子持ちだということ。そして大の親ばかであるということだった。
 ロアは何度も何度も子供自慢をしてくるランディに疲れ果てていたが、何とかそれを悟られないように黙って聞いていた。
「あなた……その人は?」
「この兄ちゃんはロアっていって、俺を助けてくれた命の恩人さ。ロア、こっちが妻のフィアナでこのべらぼうに可愛い子が……」
「こんにちはっ、ミリアっていうのっ! はじめまして、ロアお兄ちゃん」
 ぺこりと挨拶する姿はどこか微笑ましい。ロアはミリアに視線を合わせるようにしゃがむと
「初めまして、ミリアちゃん。ミリアちゃんは礼儀正しいいい子だね」
「ほんとっ? ほめてもらっちゃった」
「ミリアは賢くて可愛いだろ? もう目に入れても痛くないくらい娘なんだよぉ」
 それはランディの表情を見れば自然とわかることだった。
「小さい家ですけどゆっくりしていってくださいね」
「いや小さい家だなんて、温かい家庭ですね。それもすべて奥様がご家族を包んでいらっしゃっているからでしょう?」
「あら、お上手ね」
「おーい、フィアナがいくらべっぴんだからって俺の嫁を口説くなよぉ。勿論ミリアも……」
「お兄ちゃん、ご本読んでー」
「ミリアっ!? も、もう……早々と馴染んで……」
 愛娘を奪われてすっかりいじけモードに突入したランディをどうすればいいのかロアにはわからなかった。そしてミリアは自分の顔を愛らしく見つめ、どうしても本を読んでもらいたいらしい。
「……あ、うん……別に私はいいけど……」
「やったぁ! じゃあすぐ読んで読んでー」
「こらミリア、ロアお兄ちゃんは着いたばっかりで疲れてるのよ?」
「あ、平気ですよ私は。それでどんなご本を読むのかな?」
 しゃがみ込み、ミリアに再び視線を合わせるとミリアは一冊の本をロアに渡す。どうやらそれは絵本で、王子様がお姫様を助ける古典的なものであった。
「あのねミリアね、この本に出てくる王子様が好きなの! すごく優しいんだよ!」
「そっか、ミリアちゃんは王子様が好きなのか」
 ぱらりとページをめくると、金髪の王子様が綺麗なお姫様と一緒にいるシーンが描かれている。そして気のせいだろうか、その王子は自分の見慣れた人物に少し似ているような気がした。
 何かと自分に喧嘩を売ってくるあの男を。
 ――私はこの王子は好きになれそうにないな。
「でもロアお兄ちゃんもすごく優しそうだよ!」
「私がかい? そう言ってもらえて嬉しいよ」
 笑みを浮かべたまま頭をそっと撫でるとミリアは嬉しそうにロアに微笑みを返す。ロアはそんなミリアの様子を見ながらも心の中では自分は優しい人間じゃないと彼女の言葉を否定した。
 だが本当にこの家庭は温かい。
 しかしロアは特別大きな感情を抱くことはなかった。所詮彼らは『人間』であって、いつか自分は人間を滅ぼす存在として再び地上に立つのだ。
 その時に妙な情を抱いてしまっては面倒なことになってしまう。
 肉食動物はこれから食らう草食動物の気持ちを考えたりするだろうか? 
 ようはそれと同じだ。肉食動物は食らうもののことなど考えない、意識のないただの肉として捉える。彼によって人間は滅ぼされる肉でしかなかったのだ。


 最初、夜があけたらすぐにでも出るつもりでいたのだがそれがどうもうまくいかない。というのもやたらこの家族がお人よしで、ロアの世話を始めてしまったからだ。ランディは気さくに毎晩酌を進め、ミリアはすっかりロアに懐きいつも彼を追いかけている。
 この状況を打破しないといけないと知りつつも、優しい青年でいるロアにとって人の行為を無為にはできなかった。そして仕方ないとフィアナの手伝いをしていた所、約一週間近くの時がたっていたのだ。ここまでくるともう諦めという感情が生まれてくるのか、素直に町を楽しむようになった。
 おかげどこに何があるというのはすべて把握でき、そしていつ家族と別れを告げてもいいようにと、次に向う場所と準備だけはしておいた。
 そんなある日。
「ロアお兄ちゃんー! 今日はミリアと一緒に遊びに行こうよ!」
「ミリア、駄目でしょう。今、お母さんと約束したじゃない、お買い物にいってくれるって」
 ミリアはやや膨れながら、ロアの腕にしがみつく。遊びたい盛りなのだろう、お使いよりも外で元気にはしゃぎまわりたいのだ。
「なら私が行きましょうか? ねぇミリア、私と一緒にお買い物行こうか? それでお買い物が終わったら私と遊ぼう。どうだい?」
「それなら行く! ロアお兄ちゃん、だったら早く行こうよ!」
「もうこの子ったら……ごめんなさいね、無理させちゃって」
「いえお気になさらないで下さい。私は居候させてもらっている身ですから少しでもお役に立ちたいんですよ。それにミリアちゃんも可愛らしくて好きですよ」
 思わずミリアが恥ずかしさのあまりロアに抱きつき、ロアはこのミリアの行動がよくわからなかった。
「ミリア? お腹でも痛くなったかい?」
「違う、違うもん!」
「ロアさんも乙女心だけはいまだに理解できないようですね」
 くすりとフィアナが笑う。
 人間歴数ヶ月のロアは乙女心を理解するまでもの位置には辿り着いてはいなかった。ロアはこの不思議な気持ち『乙女心』なるものの解明を急ぎながらも、ミリアと共に町に繰り出す。
 ミリアはまだ恥ずかしそうにロアの袖を掴んでいたが、時間がたつとまたいつもの愛らしい笑みを浮かべながら興味のあるものに次々と歓声をあげていた。
「そのお人形が気になるのかい? 買ってあげようか」
「え……でもお兄ちゃん」
「私からのプレゼント、ちゃんとママには私からうまく言っておくから」
 女の子が好みそうなお姫様の人形を買い、そのままミリアに渡す。買い物をしているときからやたらとミリアはこの人形を気にしていたことをロアは事前に察していた。金銭に執着する心がないのか、人形を買うくらいの余裕はあった。
「ありがとうお兄ちゃん! 大事にするから!」
「どういたしまして」
 人形を嬉しそうにもつ子供は何故か華のような笑みを浮かべる。それが『可愛い』という感情であるのだが、今のロアはそれを「可愛い」と心から思えるほどの感情ができていない。
「じゃあ買い物の続きを…………」
「お兄ちゃん?」
「ミリア、君は先にママの所へ帰りなさい。すぐに戻るから」
 ロアはミリアにそう告げると人の波を潜り抜けるように駆け出し、妙な気配を感じた場へ急いだ。あの一瞬の気配は自分がよく知るものであり、自分が狩る気配でもあった。
 気配の元は路地裏にいた。
 路地裏にはロアの他には男一人しかおらず、その男は手に血まみれの出刃包丁を持っていた。
『ひゃ、ひゃ、ひゃ……』
「お前、魔物だな? どうして人の姿でいる?」
『新しいエモノ、エモノ、エモノ』
 ロアに向けてにやぁっといやらしい笑みを浮かべる。
「その地面に倒れている奴を殺したのはお前か」
『血! 血ぃ! 血ぃぃ』
 男が人間とは思えぬ跳躍を見せ、ロアにむかってくるが躊躇うことなく剣を魔力で出すと、そのまま男を両断する。
「……! い、いやぁっ! 人殺し……!」
 この時、運の悪い婦人がこの道を通らなければ婦人は多少ながら幸せな最後を迎えることができただろう。ロアは死人に口なしというように剣を構え、余計な目撃者を消そうと歩み寄る。
 婦人は恐怖で座り込んでいたが、ロアが近づくにつれ婦人の表情から恐怖が消えていた。
『人……人殺……あひゃひゃ、お前躊躇わない。おかげであの体が使えなくなった』
 声は明らかに先程の婦人だが口調がどう考えてもおかしい。心なしか顔が狂気的な表情を浮かべており、ロアの姿を見て脅えていた素振りはまったくない。
「お前、人に寄生するのか」
『あはは、遅い。遅い、人間がオレの宿、人間がいればオレ死なない。でもオレ、人間殺すのスキ』
 婦人が駆け出し、ロアはそれを追いに中央通りに再び戻ってくる。中央通りではすでに寄生された婦人が周りの住民に鈍器を振りまわし、町は一瞬にして混乱に包まれた。
 魔物は寄生している婦人の体がもう使えないと判断すると、近くの男に乗り移り今度はその男が魔物の操られ人形となった。恐らく人と人の間を行き来できる魔物なのだろう。
 そして魔物は肉眼で確認できる距離内でないと行き来をすることが不可能らしい。
 つまり今体内にいる人間しかこの場にいない場合、行き来できずに事実上『捕縛』できる形となる。
 これが冷静に魔物の行動を見続け、導き出したロアの答えであった。
「だから人間がこの世にいる限り死なないというわけか……」
 小さく助けてくれとい声が聞こえたがロアはそれを無視し、かわりに風の力で逝かせる。もう『生きること』が手遅れであるなら、まだ楽に『逝かせる』ほうがいい。それに『魔王』である彼が人間を助ける道理はない。
「そんなに殺して最後はどうするつもりだ?」
 魔物が作った屍の道を通りながらロアはゆっくり後を追う。ただ血の匂いが酷く、ややしかめ面をしながらであったが……。
 そして気がつけばロアは世話になったランディ一家の前に立っていた。周りを見渡すと生きている者はすでにいなく、ロア一人がそこに立ち尽くしていた。
 「……逃がしたか?」と呟き、慣れた手つきで家の門を越え中に入っていく。光がなくとも暖かい雰囲気のあった家が酷く冷えた感じがした。中が荒らされた様子は無く、血の匂いだけが鼻につく。その中に微かに聞こえる泣き声に耳をすませ、そっと名を呼んでみた。
「……ミリア?」
「お、お兄ちゃん!」
 ミリアのワンピースは血にまみれ、彼女の近くにはすでに生命活動を終えた両親が倒れている。
「ぱ、パパとママ……が!」
「そうかもうここまできたのか……」
「怖いよ、お兄ちゃん。助けて……」
 ふらふらとミリアがロアに近寄る。本当はすぐに走って抱きつきたかったのが、恐怖でおぼつかない歩きしかできなかった。
「大丈夫だよ、ミリア。すぐに助けてあげるから」
「本当! 嬉しい……。だったら」
 ロアの前に立ち、服を掴む。
『お前の体を寄越せェェェ!』
 ミリアであったものが大きく目を見開きロアを見る。
『……なっ、移動できない! ナゼだぁ、ナゼだぁ!』
「お前みたいな格下が私の体を操れると思うか? ここで終わりだ」
「い、いや……お兄ちゃん、助けて。お願い、怖いよ。変なのが体の中に……!」
 涙を流しながら懇願するミリアをロアは冷めた瞳で見ていた。
「さようなら」
 次の瞬間、この町で生存している者はロアしかいなかった。長い静寂の後、ロアは沈黙した町に用はないと家から出た。
「……雨か」
 ぽつぽつと雨がロアの頬を濡らし、血に染まった町に降り注ぐ。すべての血が流れゆくように雨はやまずにずっと降り続けた。


「ロア? どうしたの、顔色悪いよ」
 バースが心配するように覗き込み、ロアは現実に引き戻された。
「いや、大丈夫だよ」
「そんな顔してないって、体調悪くしたなら休んだほうがいいんじゃない。今日はもう何もしないしさ」
 雨を見る度に思い出す。あの『町』でのこと。
 まだ『魔王』である時に自分が出会ってしまった町。もしそれが『今』の自分ならあのような結果を迎えることはなかった。しかし魔王であるが故に世話になった家庭を見捨てた。
 そして今はこう思う。
 あの時死んだ魂が浄化されていることを。そして再びこの地で新たな生命を受け蘇ることを。
 その為に祈る方法をあの教会で知った。自分は祈りを捧げられる存在ではないが、祈ることをもし許されるのなら祈り続けていよう。
「……ロアってそうやって知らないうちに無理してるんだよ? ちゃんと気付いてるわけ?」
 バースはカップにお茶を注ぎ、ロアに渡す。お茶の優しい香りがロアの心を落ち着かせ、僅かに表情を緩めたロアを見るとバースは安心したように椅子に座った。
「ありがとうバース、気遣ってくれて。……読んだ中の詩人が言っていたのだが雨は人の涙だという。それは本当だと君は思うかい?」
「なにそれ。よく雨は涙なんて言えるね、オレは雨なんて嫌い。濡れるし、べたつくし、炎の威力が落ちるから。でもどうしてそんなことを聞くの? ねぇやっぱ何かあったでしょ……ロア」
「……雨が降っていたんだ」
 あの日に。
 町を去った後も雨は降り続き、その雨は町の人が流した涙のよう。
 そして胸に名の知らぬ『しこり』を残したロアの…………

<後書き>
もう暗くてすいません。でも一度書いてみたかった!ジョニーに出会う前の魔王物語を。
ということでまだ『魔王』が強いので、とにかく『人間』に対していい感情を持っていないロアでした。でもこれは魔王メンバー全員に共通していると私は思います。特に最初のバースは一番、『魔王』的だったと思います。今現在(2章)では薄くなりましたが。

個人的には2章とのギャップを感じていただければ幸いです。
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