「美しい我が姫、コレット……。どうか私と一緒に」
 それはこの屋敷で毎度ながら行われる行事と言っても過言ではない。
 男は彼女の手を取り、そっと手の甲に口付けをしようと自分の唇を近づけたのだが……、
「帰れ! この女装癖の変態!」
 直後、響き渡る男の悲鳴と、窓ガラスが割れる音。
 屋敷の者たちはそれ聞き「またか」と笑った。
 頻繁に男が求婚をし、彼女がそれを払う。この一連の流れこそがこの屋敷で行事化されていることだった。
「悪いけどアンタに興味ないの。わかってる?」
 彼女の名はコレット。燃えるような赤い髪と緑色の大きな瞳が印象的な少女である。彼女は位の高い貴族の娘ながらも決して権力を見せ付けたりしない。
 むしろ彼女の場合は権力というより腕力を持つというほうが正しく、貴族の気品よりも武将の強さを受け継いでしまったと言えよう。
「あんな女装癖のある男と付き合えるわけないでしょ!ばっかじゃないの」
 そんな彼女を言い表すいい言葉がある。それは、
 『体も心も非常に熱い人』だ。
 それだけ彼女は気丈だった。この気の強さはきっと母親譲りだと誰かが言っていたことをふとコレットは思い出す。だが今は関係のない話だ、とコレットは頭を振り、応接室から廊下へと出た。
「まったく父さんも何考えてんだが……まだ十七にもなってない娘に結婚させるなんて。しかもどいつもこいつも変な癖ばっかり。私はそこまでマニアックな趣味は持っていないわよ! ……多分」
 獣が遠吠えするかのようにコレットは叫び出す。その時、偶然に彼女の叫びを聞いてしまったメイド長は途端に頭を抱えるのだが今はそれは割愛しておく。
 とにかく父親の連れてくる男といえば、先程の女装癖をはじめ潔癖症と、コレットにとって誰も魅力的だとは思えなかった。ゆえに彼女はその男達を文字通り『倒し』追い返していた。

 無意識に喉元を摩る。
 喉はまだ熱をもっており、コレットは摩ったまま廊下を大股で歩いていった。この時点でもう貴族としての優雅さは失せている。
「あー、あつ。さっき追っ払う時に火なんか噴いたから喉が熱いったらありゃしない」

 魔法が使えて当たり前な世界。
 その世界で尺度で当てはめると、彼女は火の使い手であった。
 ただ彼女の場合、それは『魔法』というよりも『火噴き人間』というほうが正しく、神が気紛れで彼女に与えてしまった畏怖すべき能力でもあった。
 喜怒哀楽関係なしに、どれか一つの感情でも以上に高ぶったのみ、彼女は口から火を噴く。そんな能力を与えられて約十年近くたつとなると、それは『不幸』としか言いようがない。
「気がついたら『暇なしの火噴き姫』なんて呼ばれてるし……私は街の名物じゃないっていうのに」
 だが周りの者が遠巻きにせず、彼女を可愛がっていることがせめてもの救いだろう。
 街を歩けば彼女の武勇伝をはやし立てる者や、彼女の気丈さに憧れる者が後についてきて絶えることがなく、その点において彼女は非常に幸せであった。
「……でもどうせならもっと普通の幸せが欲しかった」
 白いブラウスと紺のスカートが歩くたびに揺れるが、今の彼女にとってはそれも疎ましくて仕方なかった。本来はもっと動きやすい服を着たいと思っているのだが、仮にも位の高い令嬢が少年のような姿をするわけにもいかず、我慢する形で今の服装を身につけているのである。父親はもっと女性らしい服を着て欲しいと願っているが、コレットがそれ以上のことを聞くはずなどなかった。
「父さんが呼ぶ男ってあんな変なのばっかりなのよ。せめてもう少しまともな人で……いやそれ以前に」
 立ち止まり、廊下の窓を開けると、夏のからりとした暑さが屋敷の中へ流れ込む。しかし火噴きの能力を持つ彼女にとって、特別夏が暑いと感じることはなかった。
「……自分で好きな相手くらい見つけるわよ。子供じゃないんだから」
 静かに毒づくと再び歩き始める。
 彼女は自分の部屋には戻ろうとせず、先月亡くなった祖父の部屋へ行こうとしていた。
 祖父は元来から変わった性格で、部屋にこもってはずっと道具を作っていたイメージしか残っていない。けれどその道具が幼少時代のコレットにとっては輝かしいもので、つい何度も部屋にいっては祖父の道具を眺めていることが多かった。
 自然と祖父の部屋に向かう足取りは軽くなり、慣れた手つきで銀のドアノブを捻った。
 捻った瞬間、埃と湿気の匂いが鼻につくがコレットは気にせず中へと足を踏み込む。もう誰も使われることのない部屋は窓から日がさしていてもやや暗かった。

 だがまだ太陽が昇っているこの時間にわざわざ灯りをともす必要もないと、コレットは近くにあった道具を手に取る。
「このペンに杖や指輪。部屋の中にある殆どのものが、おじいちゃんが作ったんだよね」
 いつか、何故そんな道具を作るのかとコレットは祖父に問いかけたことがあった。
 その時の祖父は笑顔を浮かべながら『お前が喜ぶ顔が見たいからだよ』と彼女の頭を撫でたことを今でもよく覚えている。そう言われるたびにコレットは嬉しくなって、祖父に抱きついていたのだがもうその祖父の姿はない。

 コレットの理解者であり、天才的な腕前を持つ祖父。
「魔道具に彼の名ありか……」
 魔道具。
 字の如く、魔力の備わった道具のことを言う。形状や能力は道具それぞれだが、その魔道具作りの天才と言われた祖父はこの部屋に多くの遺品を残して去った。
「自動お茶汲み人形に踊る絨毯……はどう見ても遊び道具よね、流石に」
 真面目に作る反面、その真面目さに耐え切れずにふざけて道具を作ることもあり、その度にどう考えても使い物にならない魔道具も増えていった。
 周りはその使えない道具にほどほどあきれ返っていたが、コレットはそのようなふざけた魔道具が好きで、たまに起動させて遊ぶことがあった。それは苛立っているときや寂しいときなど様々だったが、コレットにとってこの場所と道具たちはかけがえのないものであることに間違いなかった。
 彼女の首にかかるペンダントが部屋に差し込む僅かな光に反射する。
 ――銀で縁取られた中に群青を閉じ込めた宝石がはまっているペンダント。
 この青いペンダントも祖父が作った魔道具のうちの一つである。コレットが幼いときに渡されたもので、彼女が大事にしている宝物でもあった。
「ねぇ、おじいちゃん。おじいちゃんがいないと寂しいよ。私、このペンダントがおいじいちゃんの遺品なんて考えたくない……」
 祖父が常に仕事道具を広出ていた机に、手を置く。祖父が亡くなってから掃除はされておらず、彼女の手のひらにうっすらと埃がつく。

 ふと普段から祖父並にこの部屋に入り込んでいたコレットでも見たことのないものがあり、思わずそれを手に取る。
 その古ぼけた本には鍵がかかっており、彼女は力任せに引っ張ってみると、古いためか鍵はいとも簡単に壊れた。ある程度風化して、かつコレット自身、腕力に自信はあるとはいえ、鍵を腕力一つでこじ開けられるとは想像していなかったらしい。
「……さ、錆のせいだもの! でもここにあるってことはやっぱりおじいちゃんのだよね? ……見ても平気よね。だって運よく開けちゃったし」
 古い本ということを考慮して、コレットは慎重にページを開いた。しかし、どのページをめくっても文字が書かれたところはなく、薄茶色のページが続くだけだ。
「古すぎてインクが消えちゃったのかなぁ。なんか面白いこととか書いてあったかもしれなかったのに……例えば魔道具のネタとか、実は秘密赤裸々日記とか! ……そういえばおじいちゃんはどうやって好きな人を見つけたんだろう。やっぱり昔らしくお見合いしたのかな」
 問いかけても古びた本は答えてはくれない。父親が自分のことを心配し、婚約者候補を連れてくることは痛いほどにわかる。そう知りつつも、彼女は父親の思いには応えられず、祖父だったら自分の期待した答えを提示してくれるのではないかと、どこかで甘えていた。
「ま、片付けますか」とコレットは息をついて、本を閉じようと手に力を込めた。だが、彼女が何度も力を入れても本は閉じられるどころか、本は命が宿ったように震えだしむしろコレットのほうが本に翻弄されていた。
 コレットは気味が悪くなって何度も本を手放そうとしても、本と手が一つであるかのようにまったく離れようとしなくなっていた。
「おじいちゃん! こんな呪いの道具なんて聞いてないよ」
 本と手がくっついて離れないという性質の悪い道具を祖父が作っていたとは思えない。しかし実際に、今彼女は本から離れることができないという状況に間違いはない。
 本は大人しくするどころか、どうやったのか風を呼び起こし、それによって周りの道具もかたかたと音をたて揺れ始めている。
 結果、部屋に小さい台風まで起こり、紙も物も散らばって酷い有様となってしまった。
「止まって! いいから止まれぇ! もういい加減にしなさいよ、火噴いて燃やすわよ、あんた!」
 まるで本はその言葉を待っていたようだった。
 コレットがそう言ったと同時に風が止んだが、それはほんの一瞬のことで再び風が起こると今度はコレットを本の中へ吸い込むような動作を始めたのだ。彼女の生きた人生の中で、本が人を吸い込むというような所業を成したことはない。完全に未知な体験である。
「おじいちゃん! せめてこの道具を処分してからいなくなってよ!」
 気が動転しているせいか、先程までは祖父がいなくなっていたことを悲しんでいたというのに、今は祖父への文句にすり替わっている。天国の祖父が聞いていたら涙をそっと袖口で拭いそうなものだが、今のコレットには余裕というものがない。
 すでに本によって数品の魔道具が吸い込まれ、自分の末路も安易に予想できる。
「このまま吸い込まれてたまるもんですか!」
 本に吸い込まれた自分の姿を考えたとき、背筋がぞっとし、彼女を奮い立たせるのは恐怖からの脱出以外なにもない。
「頑張れ私! 負けるな、人間気合を入れればどうにかなる! 多分!」
 腰を低く落とし体重をかけるが吸引力ははるかに強く、彼女の毛先はもう本に入り込んでしまっている。
「吸われたくない! まだ本気になれる相手も見つけてないのにこれで散るなんて乙女なのに儚すぎる!」
 コレットは叫び続ける。
 額にはうっすらと汗が浮かび、まだ頑張れると思う反面、もう無理かもしれないという諦めも感じはじめた。
 心の中の二人のコレットがそれぞれ意見を言う合う中、ついに頑張れると主張した自分が負けた。『これはこうなる運命であって、自分は吸い込まれなければ話が進まない』のだとそう開き直ったときでもあった。
「もういい! もし来るならまとめて相手になってあげるわよ! ……でもせめてまともであることを本気で祈るからね、おじいちゃん。うん、ホントそうしてね」
 覚悟を決めるとコレットは目を閉じ、ゆっくり体を本へと倒していった。

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