そこは何もない、ただ暗いだけの空間だった。暑さも寒さもない異空間の中で、コレットだけがひたすら落下し続けている。
「この私を吸い込むなんて本当にいい根性してるわね。こうなったらこの先、何が出てもお相手して差し上げないとね……目に見てなさいよ!」
 一度腹を括ったからなのかコレットの口調は強気なものだ。というよりあまり深刻に状況を捉えていない。
 冷静に考えれば、幼少のコレットが自由に行き来できる場所に祖父は危険な魔道具を置くような真似をするとは思えなかった。コレットを常に可愛がる祖父が彼女を傷つけるものを作るとも思えない。そう答えを出すと、気が動転していたとはいえ祖父を非難した自分を恥じた。
「……それにしてもこの体勢はどうにかならないのかしら」
 くるりくるりと彼女の体は異空間に入ってから緩やかな回転をしつつ落ちていた。特別、三半規管が弱いというわけではないが、このまま長時間回り続けるようなら気分が悪くなるかもしれない。

「この先、何があるんだろう。まさかこのまま暗い中ってわけじゃないわよね? まさかそんなつまらないことをおじいちゃんはしないはず。いや、そう信じなきゃ」
 彼女は視線を左右に動かしてみると、そこには彼女よりも先に吸い込まれた魔道具が、彼女同様に回転しながら落ちていた。
「まぁ、後で元に戻しとこう」
 コレットは道具の一つを手に取ると服のポケットへと入れた。その他にも数個回っていたが、彼女の腕の長さでは届きそうになかった。
 手にした道具はごく一般的に販売されている赤いペンであり、この赤いペンが魔道具であるとは到底見えない。

「実はペンじゃなくて違う用途があるとか! ……なんていうのもありそうだし。まぁ考えてもしょうがないか」
 そんなことを呟いているうちにこの異空間に光が入り込んでくるのを感じた。
 長い移動を終え、やっと彼女は謎の世界へ突入する。
 入った瞬間、生暖かい風がコレットの頬をくすぐり、肌がその風を受け入れる。訪れた世界は過ごしやすい気候なのだろう。ブラウス一枚でも快適と言える暖かさだ。
 視界がほぼ青い空に覆われた世界。
 絵の具で出すのが困難なほどの鮮やかな薄青が一面に広がり、雲ひとつない快晴だった。この景色を暫く眺めるのもいいとコレットは思ったが、落下する体をとめることはできない。
 視界いっぱいを占めていた空が段々小さくなるかわりに、緑や茶色という町並みを思わせる色が入ってくる。一体、あそこにはどんな人が住んでいるのだろうとコレットは疑問に思ったが、それよりも自分のいた場所よりも違う空気の新鮮さのほうに意識がむく。
 自分の住んでいた地域も緑が多いところではあったが、こちらのほうが感覚的に空気が美味しく思えた。新鮮な空気が肺を満たし、空気を体内に取り入れることで彼女はこの世界と一体になった感覚を覚える。

 その中、彼女の体は町と思われる場所からやや離れた位置に落ちようとしている。
「……おかしい」
 落下して暫くたつのだが、勢いは一向に弱まる様子をみせない。急降下というスピードではないが、このまま地面に叩きつけられたら怪我は免れないであろう。
「普通はこうもっと安全なものじゃないの!?」
 まったく無駄だと知りつつも、腕を広げてもがいてみるがやはり速度は変わらない。
 怖さのあまり瞳は潤み、再び冷静に考えることも不可能となっていた。今、彼女にできることはひたすら叫び、これは夢だと目を瞑ることだけである。
 彼女は自分の不幸さを嘆いた。火を噴く特殊体質ですら自分に言わせれば不幸だといえるのに、今の彼女は不幸の上乗せをされた状態でもあった。
「実は夢っていうオチは……ないわよね?」
 乾いた笑いをするが、その笑いで状況の打破などできるわけがない。ふと彼女は数年前のことを思い出す。それは幼い頃に犬と本気で遊び、その結果犬に足を噛まれたこと、父親が選んできた婚約者をばっさばっさとなぎ倒してきたこと、蘇る記憶は主に暴力的な映像が多いものばかりという、ある一種の武勇伝にしかならい記憶ばかりだ。
「甘酸っぱい記憶はないのか、私……」
 もう目すら開けることすら恐怖でままにならない。数秒後したら自分は天国なりにいけるのだろうとコレットは思っていた。
 ――もし生まれ変われるなら次は火とは関係のないものに……
「おい、なんのつもりだ?」
 数秒後たった今、そこに聞こえるはずのない声が響く。
 ――そうか、これが死んだ人間を迎えに来る案内人ってやつね。でも死んだ人間に対して、
その不機嫌そうな口調はどうよ? 死んだんだからもう少し穏やかな口調を希望したいんですけど。
「聞いているのか? いつまでそこにいるつもりだ、娘」
 だがコレットが願う口調には一向にならず、むしろどんどん苛立ちが増してきている。死んだ人間に対し、随分と失礼な態度だとコレットは思い始めこのまま言われ続けることに案内人同様に苛立ちを覚え始めてしまった。

 それだけコレットは人間性ができておらず、『売られた喧嘩は五倍にして返す』は彼女の格言でもあった。
「大人しく聞いていれば……あっ、れ?」
 目を開き、コレットは素っ頓狂な声をあげる。
 何故ならそこは彼女の想像する天国とは大きく違った。彼女の中で天国というのは一面の花畑だと決まっていたのだが、彼女がいるのは花畑とは程遠い場所だった。
「奇跡の生還? それともやっぱり夢オチ?」
 自分の体に触れてみると、大きな怪我どころか小さな怪我すらしていない五体満足のまま、そこに座り込んでいた。わけがわからないが九死に一生を得たコレットは、先程から話しかける男を改めて見た。
 太もも近くまである金髪と透き通った空色の瞳、男の顔の作りは美形と言って問題はないのだが、腕を組みながらコレットを睨む姿がから察するに相当機嫌が悪いらしい。
「こんな不機嫌そうな案内人じゃ、死んでも報われないわよね。それに全身黒ずくめの服なんて見るからに怪しそうだわ」
「お前の言っていることはよくはわからないが、お前の家では人様の家に来訪するときは屋根から入ると教わったのか?」
 そんなわけないと言い返そうとしたとき、自分が初めて屋根の上にいることを知った。
「道理でさっきから貴方が私よりも下にいたのね、まぁ屋根の上と地面ですもの……って屋根!? 何でこんな場所にいるの私!」
「……何もわかっていないのか。それよりも早く降りてくれないか? お前の体重で屋根が抜けでもしたら困る」
「はっ、ちょっとそれが年頃の女の子に言う台詞? 普通は『大丈夫ですか、今降ろしてあげますよ』とか言うもんでしょ!」
「……降りられないのか」
「ふふふ、そんなこと……あるわよ! 屋根にいるなんて普通思わないもの!」
 落下の恐怖で腰が抜けてしまい、動こうにも動けずコレットは照れ隠しに叫ぶことで何とか体裁を保っていた。男は彼女を見て聞こえるように溜息をつくと、組んでいた腕を解いて左手をコレットにむけて差し出した。
『――来い』
 声の質が変わったとコレットは思った。その変化を感じると同時にコレットの体はふわりと浮き、一気に男の前まで雑に引き寄せられると、そのまま地面に落とされる。
 優しいと思ったのは最初の浮遊感だけで、それ以降は乱雑と言っていいほどの助け方だった。
「随分乱暴じゃないの、ちゃんと魔力を制御したらどうなのよ?」
「ほう、これが魔法だとわかるのか?」
「あったりまえよ、私のところだって魔法の技術は伝わってるもの」
「子供の割には物知りのようだな」
「聞き捨てならないわね。私が子供ですって? これでも十七歳なんですけど」
 さり気なくコレットはサバを読んだのだが、男はわざと聞こえるように鼻で笑い
「なら十九の俺よりも十分子供だ」
「たかが十九歳でえばらないでくれるかしら?」
 勝ったとコレットが勝ち誇った笑みを浮かべる。男はそんなコレットを見たまま黙り込み、急にコレットに手を伸ばしてきた。
 コレットは咄嗟にその手を振り払おうとするが、それより先に男の手がコレットの腕を掴み、そのまま軽々しく自分に引き寄せる。
「腰を抜かしたくせによくそんなことが言えるな」
 腰を抱かれたコレットは逃げようにも足腰に力が入らず、真っ直ぐに自分を見つめる男を鋭い瞳で睨み返すことしかできなかった。
「睨むな。俺はお前に興味はない」
「それは私の……台詞よ。女の子の扱い方もわからないような奴は一人で寂しく暮らすんだわ」
「子供と相手するのは疲れるな。やはり落ちるお前を助けるんじゃなか……」
「子供じゃないって言ってるでしょ!」
 男が言い切るより先に抜けきっていた力が全身に戻り、コレットは渾身の一撃を男の眉間めがけて打ち込んだ。
 するとコレットを支えていた手は腰から離れ、予想外の攻撃を受けた男は眉間を抑え、苦しがっているようだった。
「ほ、ほら普通子供扱いされたら怒るでしょ? か、可愛い女の子だもん」
「……その『可愛い女の子』が命の恩人に対し鉄拳とはな……効いたぞ、今のは」
「時に女の子は強く逞しくなきゃ。ほ、ほら笑顔、笑顔! せっかくの美形が台無しじゃない。いい男は紳士的で笑顔じゃなきゃ」
「そのいい男の眉間が赤くなって困っているのだが」
 男の怒っているのか呆れているのかわからない表情に耐えられなくなり、
「……ゴ、ゴメンナサイ」
 小さく風の音に消えてしまいそうなほどの謝罪だった。でも男の耳にはきちんと届いたらしく「よし」と口元が動いていた。
「鉄拳を飛ばしたり、空から落ちてきたりと相当、じゃじゃ馬なお嬢さんのようで」
「別に好きで空から降ってきたわけじゃないわよ。事故よ、きっと」
「俺はその事故とやらに巻き込まれたわけか」
「そうネチネチ言わなくてもいいじゃない。ちゃんと殴ったことは謝ったし、その助けて貰ったことも感謝してるわよ……」
「なら今後からは最後まで話を聞くことを薦めるな、娘」
「娘じゃなくて一応コレットいう名前があるんですけど、ネチネチさん?」
「変な名を付けるな、ゼノンだ。」
 そう訂正するとゼノンはコレットの腕に素早く腕輪を取り付けた。やや幅が広く作られた腕輪は彼女の腕にぴったりとはまり、腕輪と腕が一体化したように感じた。
「なにこれ? まさか呪いの腕輪!」
 何も言わずコレットから離れると、ゼノンはもう何の関係もないと家へ入ろうとしていた。
「待ってよ! このまま放っておく気なの? 私、かなり危ない状況なんですけど」
「だからその腕輪をやったんだろう。それがある限り滅多には危険なことにはならん。俺はじゃじゃ馬のお嬢さんと呑気に話をする時間は持ち合わせてない。まぁ達者でな」


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